ジブリ作品「猫の恩返し」は「耳をすませば」の続編!?都市伝説・裏設定3選!

猫の恩返しと耳をすませばの裏設定

2002年に登場したとある森田宏幸監督のジブリ映画、「猫の恩返し」。不思議な世界観を持つこの映画は、音楽から役者の演技まで、多くのファンに愛され、今も語り継がれています。

本作の舞台の一つ、「猫の国」は映画と原作で設定が大きく異なっていて、その違いや都市伝説が映画愛好家の間でさまざまな議論を巻き起こすきっかけになっています。

それでは都市伝説や裏設定について一緒に見ていきましょう。

映画では猫の国が死者が行く場所とは描かれていませんが、一方で原作では死んだ猫が行く世界となっています。この違いはユーザーの中で大いなる論争を引き起こしました。

本記事では、この話題とともに、さらに「猫の恩返し」が実はある映画の続編である可能性など、興味深い都市伝説や裏設定を掘り下げ、分析します。

真実を求める探求者の皆さん、この冒険への招待状があなたに届きました。
さあ、真実を追求すべく、一緒に旅立ちましょう。

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目次

1. 猫の国の真実: 映画と原作の大きな違い

2002年に上映されたジブリ映画「猫の恩返し」は、一見すると普通の高校生、吉岡春が、車に轢かれそうになっていた猫の国の王子、ルーを助け、その恩返しに猫の国へ招かれるという冒険ファンタジーです。

「猫の恩返し」

しかし、映画と原作では猫の国の重要な設定が大きく異なっています。

原作では、猫の国は死んだ猫が行く場所として描かれています。

原作では猫の国は死んだ猫が行く場所として描かれています。春が昔飼っていた猫・ユキちゃんは本当は亡くなっており、そのことから「死んだ猫がどこか別の世界で生きている」という、悲しさを超越した素敵な世界が存在するという設定が作られました。

原作者のヒイラゲアオイさんも「そういう世界があったらいいな」とこれを作り上げたそうです。痛みを伴う死を乗り越え、思わず微笑ましい世界に住んでいる猫たちの姿を皆さんに伝えたかったのでしょう。

ところが、映画版「猫の恩返し」では、猫の国は死んだ猫が行く世界とは描かれていません。

その背後には、監督の森田成一が、死後の世界という設定では世界観が広がらず、エンターテイメントとして重すぎると判断したからです。

その結果、映画版「猫の恩返し」は、晴れやかで楽しい雰囲気になっています。

さらに補足すると、映画版でも原作版でも、生きている猫たちが現実世界と猫の国を自由に行き来できるという設定が存在します。つまり、猫たちは両方の世界で生き続けることが可能なんですね。

これら各々の設定から見える「猫の国」の姿は確かに異なりますが、その共通点は、猫たちが自由に楽しく生きられる場所であることに変わりありません。

映画版でも原作版でも受け取れるそのメッセージこそが、「猫の恩返し」の世界観の醍醐味なのです。

2. 猫の恩返しにまつわる様々な都市伝説

「猫の恩返し」は実は「耳をすませば」の続編!?

ここに都市伝説として「猫の恩返し」は実は「耳をすませば」の続編だという説が存在します。二つの映画には同じキャラクター、バロンやルイージェ、ムタが登場しています。ここで興味深いのが、このうちの一匹でもあるムタの本名は「ルナルドムーン」であり、耳たぶの模様などからも同一の猫である可能性を示唆しています。

さらに映画「耳をすませば」の主人公である少女・雫が、「猫の恩返し」のルーとユキの恋物語を書いたという証言がインタビューで言及されていました。ただし、それがいつ書かれたのかは明らかにされていません。「耳をすませば」と「猫の恩返し」の公開年を比較すると、前者が1995年、後者が2002年となっています。つまり、雫が15歳の時に上映された「耳をすませば」の後に「猫の恩返し」が書かれた可能性があります。これら一連の事情から、この都市伝説は誕生したと考えられます。

映画「猫の恩返し」が公開されたのは2002年。聖地の年齢は15歳でしたから、上映の時期から計算すれば、雫もその頃には22歳となっており、小説家になった夢を叶えていたかもしれません。

「耳をすませば」月島雫と天沢聖司

雫と聖児の娘が春!?

映画「猫の恩返し」の上映の際、雫と恋人である天沢聖司が一緒にこの映画を見ている、というエンドロールがあるという都市伝説があります。これが本当ならば、映画鑑賞中の光景を思い描くと、きっと素敵な光景だったでしょうね。小説家として成功し、同時にバイオリン職人として活動する二人の生活シーンが描かれることを心から願います。

さて、その他にも興味深い都市伝説があります。雫と聖司の娘が春だというものです。

都市伝説というだけあって、これはただの推測にすぎないのかもしれませんが、春の母親が在宅で仕事をしているという設定を考えると、没頭して小説を書いている雫の姿を容易に想像することができます。

また、春の父親については映画中で詳しいエピソードが語られていません。一方で二人が離婚しているという情報も出てきていないため、海外でバイオリン職人として生活しているという可能性も頭に浮かびます。

これが本当ならば、春が雫と聖司の子供であるという事実に加えて、素晴らしい家族像が浮かび上がりますね。

3. 「猫の恩返し」組の出演する「耳をすませば」の秘密

「猫の恩返し」ハルとバロン

「猫の恩返し」と「耳をすませば」の中に共通して登場するキャラクター、それはバロンとムタ。これらのキャラクターは両作品に欠かせない要素としてファンに親しまれています。

しかし、少々興味深いことに、これらのキャラクターたちは各作品で異なる設定を持っています。

まずバロン。彼は「耳をすませば」では、主人公たちの妄想の産物として登場します。その一方で、「猫の恩返し」では春と会話を展開し、物語の中心に位置するキャラクターとなっています。さらに、「猫の恩返し」でも依然としてバロンは猫の人形であるものの、その存在は「地球屋」、つまりバロンの事務所と繋がっていたのです。その為、主人公たちはバロンが事務所の所長であることを知ることになります。

宮崎駿監督が初めにイメージした「猫の恩返し」の企画は、バロンが名探偵となりムタを相棒に事件を解決する活劇だったそうです。そのため、バロンの設定が「猫の恩返し」で変わった理由は、その初期の企画に基づいていると言えるでしょう。

次にムタについて見てみましょう。ムタは「耳をすませば」では少々ツンケンとした高貴な猫でした。しかし、「猫の恩返し」に至ると、彼はおじさん臭い雰囲気を纏ったキャラクターになっています。そして彼の本名は「ルナルドムーン」で、その名前が示す通りムタはかなりの町の有名人であり、その存在は愛され続けているのです。

「猫の恩返し」と「耳をすませば」で設定が少々異なるものの、バロンとムタは、それぞれの作品で個々に魅力を放ち、観る者を引きつけています。それらのキャラクターが織り成す世界観とストーリーは、多くの人々を魅了し続け、その魅力は衰えることなく続いています。

それぞれの趣が違う二作品、「猫の恩返し」そして「耳をすませば」。そしてその中心に立つ猫たち、バロンとムタ。各作品でのエピソードや描写を通じて、これらのキャラクターたちは観る者に深い印象を残します。彼らが共に創り上げた世界観や物語は、今もなお多くの人々に愛され続けています。

終わりに

それでは、私たちが今日まで分析してきた「猫の恩返し」の神秘と興味深い都市伝説や裏設定について、まとめてみましょう。

まず、人気の都市伝説のひとつとして、青年期を迎えた雫と聖司の続編的な存在の可能性が取りざたされています。雫が夢に見た小説家になり、恋人の聖司とともに「猫の恩返し」の上映を観ているというなんとも夢のようなエンドロールの伝説も、根強い人気を誇っています。二人が大人になった姿を思い浮かべることは、ある意味で、作品が持つ可能性の象徴でもあります。

さらに、「猫の恩返し」の中に出てくるキャラクター“バロン”や“ムタ”にも注目が集まっており、彼らの意外な設定の違いや、それぞれが務める役割などが話題になっています。宮崎駿監督が元々イメージしていた設定や、彼らが登場する作品間での質問変化は、ファンが何度も視聴したいと思う要因の一つかもしれません。

また、なんと「耳をすませば」の世界が「猫の恩返し」の姉妹作であるという都市伝説もあり、これらの作品が、見えないところで確かにつながっているという解釈は多くのファンを惹きつけているのではないでしょうか。映画の枠を超えて繋がる二つの世界を探求することは、これらの作品の醍醐味の一つと言えるかもしれません。

これらの作品から感じ取ることができる可能性や希望、思いもどきの興奮が、新しい発見や想像力に繋がりますように。今回も「猫の恩返し」そして「耳をすませば」の世界を一緒に見て頂き、ありがとうございました。

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普通では日本のNetflixでジブリを見れないのですが、とある方法で見れてしまいます。

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この記事を書いた人

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